ソルブ語研究への誘い

笹原健/木村護郎クリストフ

注:本稿は,日本スラヴ学研究会外部サイトへ移動します(旧・西スラヴ学研究会)の『西スラヴ学論集』創刊号刊行(1986年6月15日)から25周年を記念して企画された一般読者を対象とした学術入門書『スラヴィスティカへの誘い』の一章として執筆されたが,同書の刊行が中止になったため,当ウェブサイトに掲載するものである。

目次

  1. ソルブ略史
  2. ソルブ語研究の歴史と現在
    1. 研究史
    2. 研究状況
    3. ドイツ国内 ドイツ国外 日本
  3. 研究の展望
    1. 一般言語学的研究:文法/語彙的特徴への注目
    2. スラヴ語的な特徴 ドイツ語的な特徴
    3. 社会言語学的研究:少数言語としてのソルブ語
    4. 文学研究
  4. 文献案内
    1. 教科書
    2. 上ソルブ語 下ソルブ語
    3. 辞書
    4. 上ソルブ語 下ソルブ語 携帯端末用アプリ
    5. 文法書
    6. 上ソルブ語 下ソルブ語
    7. 歴史
  5. 参考文献

しばしば「もっとも小さなスラヴ語」と言われるソルブ語は主にドイツ東部のザクセン州とブランデンブルク州にまたがるラウジッツ/ウジツァ(Lausitz=ドイツ語/Łužica=上ソルブ語/Łužyca=下ソルブ語)地方で話されている(図1を参照)。なお、本稿ではドイツ語呼称のラウジッツではなく、ソルブ語呼称であるウジツァを採用する。ソルブ語は上ソルブ語(主に南部の上ウジツァ地方)と下ソルブ語(主に北部の下ウジツァ地方)の二つの書きことばを発展させてきた。呼称は、原語ではSerb(複数形Serbja=上ソルブ語/Serby=下ソルブ語)であり、南スラヴのセルビアと同根とされる。ドイツ語文献では、Sorbe(複数形Sorben)の他、歴史的にドイツ在住のスラヴ人を広く指したWende(複数形Wenden)が用いられることもある。セルビアとの混同を避けるため、本稿では日本語で多く用いられてきた「ソルブ」を使用する。ソルブ(であると意識をもつ)人口はザクセン州で約4万人、ブランデンブルク州で1万5千人と推定される。そのうちソルブ語話者はあわせて1万数千人とされる。

今日のソルブ語使用地域
図 1 今日のソルブ語使用地域(Załožba za serbski lud (ed.), Die Sorben in Deutschland. 3., überarbeitete Auflage. 1999. Bautzen.に改変を加えた

本稿ではまずソルブ人をめぐる歴史の大きな流れをたどる。そのうえでソルブ語研究の歴史と現状を概観し、今後の展望についても考察する。文学の研究にも若干ふれたい。最後にソルブ語にとりくもうとする人のための文献案内を付す。

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A. ソルブ略史

ソルブ人は紀元後500~600年頃、現在のドイツ東部一帯に東方より移動してきたスラヴ系の諸族に由来する。12世紀以降、ドイツ系諸族の植民とともに、次第に各地でドイツ人への同化が進み、現在のドイツ領内でスラヴ系の住民が残った最後の地がウジツァ地方である。宗教改革以後、カトリックにとどまった一部地域を除き、ソルブの約9割がプロテスタントとなる。宗教改革はソルブ語の書記言語化に大きな影響を与え、1548年には新約聖書がはじめてソルブ語に翻訳された。ウジツァ地方におけるカトリックとプロテスタントの競合が、のちに双方によって積極的にソルブ語の宗教文献がうみだされるようになった背景にあるとされる。しかし30年戦争(1618~48年)においてはウジツァ地方もたびたび戦場となり、ペストなどの疫病の流行とともに大幅な人口減少につながったのみならず、文化活動も大きな打撃を受けた。

1635年にウジツァ地方の大部分はザクセン選定侯領となった。しかしウィーン会議(1815年)でザクセンがウジツァ地方北部をプロイセンに割譲して以降、ソルブ居住地域は、比較的寛容なザクセン領の上ソルブ地域と、総じてより同化主義的な傾向の強かったプロイセン領で異なった状況におかれることになる。

19世紀初頭以降、ドイツや隣接するスラヴ圏の「民族覚醒」の影響のもと、ソルブでも聖職者など一部の知識層を中心に民族意識が高まる。1840年代には各地でソルブの協会がつくられ、1847年にははじめての全ソルブ的組織として学術団体マチツァ・セルプスカ(Maćica serbska)が結成される。

1871年にドイツ帝国が成立してからは、学校でのソルブ語の抑圧など、同化圧力が強まった。その反面、1904年に上ウジツァ地方の文化的中心地ブディシン(Budyšin=ソルブ語/Bautzen=ドイツ語)に「ソルブの家」(Serbski dom=ソルブ語/Haus der Sorben=ドイツ語)が完成した。1912年にはソルブの諸団体の上部組織として、今日まで民族運動を中心的に担っているドモヴィナ(Domowina)が結成されるなど、民族運動も進展した。

第一次世界大戦後、民族自決をめざして、自治や同じスラヴ系のチェコスロヴァキアへの併合、さらには独立を求める動きもあった。しかし、これらの動きが実現の可能性を持つことはなかった。ワイマル共和国時代は体育団体ソコウ(Sokoł)が結成されるなど民族運動の展開がみられたが、ナチス政権下で統制が次第に厳しくなり、ドモヴィナは解散させられた(1937年)。あわせてソルブ語の出版物も禁止された。ソルブの指導層である教師や聖職者の大部分は地域外に追放され、一部は逮捕された。ソルブ全体を東に移住させる計画も考案されたが、具体化する前に終戦を迎えた。

第二次世界大戦後、ウジツァ地方はソ連占領地域、のちのドイツ民主共和国(東ドイツ)に含まれることとなった。東ドイツにおいてはソルブ語の学習・使用権が認められ、国家的な助成・促進が行われた。だが他方では、大戦末期から戦後にかけて、新しくひかれた国境(オーデル・ナイセ線)に近いソルブ地域には中東欧から多くのドイツ系の人々が流入した。地域によっては元々の住民の数を上回るほどの避難民の流入・定着することとなり、第二次大戦後のソルブ語の衰退をもたらした主要因の一つとされる。衰退化の要因には工業化の進展もあげられる。ウジツァ地方では褐炭の露天掘りが多く行われ、あわせて工業化が進められた。褐炭採掘のソルブへの直接の影響は、採掘による住民移動である。数十もの村落が取り壊され、住民の多くは都市部に移ることとなった。村落共同体の解体および都市への移住がソルブ語話者のドイツ語への同化を進めたことは確かだろう。だがソルブ語の衰退により大きな影響を及ぼしたのは、工業化に伴う外部からの人口流入によって非ソルブ語話者の比率が増したことである。ソルブの村が散在したかつての農村地帯は、都市化とともにドイツ語化していった。

ドイツ統一後、ソルブ語促進政策はおおむね継承された。しかし国家財政難に伴い、毎年のように政策の規模縮小案が持ちあがっており、中長期的には予算額の維持は困難な状況にある。しかし統一後のより根本的な問題は、出生率の著しい低下および高い失業率による人口流出である。これらは旧東ドイツ全体に共通する問題であるが、人数の少ないソルブにとっては民族としての存続を脅かす問題となっている。

1945年以降、ソルブはそれ以前と比べると格段に良好な制度的条件を獲得してきた。その反面、社会的経済的条件はソルブの存続を困難にする展開をみせ、ソルブ人口は減少しつづけた。19世紀末には話者がなお15万をこえていたとされるソルブ語は、20世紀に急速に衰退し、東ドイツ時代もソルブ促進政策にもかかわらず衰退は止まらなかった。1950年代半ばにソルブ研究所が行った調査ではソルブ語話者はなお最大8万人とみつもられたが、1980年代半ばの調査に基づく推計では6万7千人に低下した。その多くは当時すでに高齢者であったことから、21世紀を迎えるまでにソルブ語を流暢に話す能力のある者は2万人にまで減少していたと推定される。その後も人口の話者人口の減少は止まっていない。

しかしこのような傾向に対抗しようとする動きもみられる。とりわけ注目を集めるようになっているのが、ドイツ語を母語とする子どもに幼稚園で教育者がソルブ語で接するというウィタイ(WITAJ)計画である。これはフランスのブレイス(ブルトン)語のイマージョン教育を行う自主教育運動ディワンに着想を得たものであり、1998年にはじまった。ウィタイ組を卒園した児童のためには基本学校(小学校)でもソルブ語とドイツ語の二言語で授業を行う学級が設けられている。ソルブ語話者集住地域においては従来、母語別(ドイツ語かソルブ語)の学級編成が行われていたが、ソルブ語を母語とする児童とドイツ語を母語とする児童が一緒に両言語で授業を受ける二言語学級が、ドイツ語母語話者の児童のソルブ語力を向上させつつ、ソルブ語を母語とする児童のソルブ語力をも維持・発展させていくという二重の課題にどのように応えることができるかが今後のソルブ語存続の一つの鍵となるだろう。

二言語標識
二言語表記の標識(ブディシンBudyšin郡クルスチツィChrósćicy村)
(クリックするとオリジナル画像を表示します。写真・笹原健、以下同じ)

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B. ソルブ語研究の歴史と現在

次に、これまでどのようなソルブ語研究がなされてきたか、そして現在なされているのかを広く概観していく。

1. 研究史

まず、ごく簡単にソルブ語研究の歴史をふりかえる。以下に、20世紀初頭にいたるまでの代表的なソルブ語文法やソルブ語辞書を年代順に掲げる。

17世紀中葉から、神学者、聖職者らがソルブ語文法を著している。もっとも古いとされているのは、神学者であり言語学者であったJan ChojnanによるLinguae vandalicae(手稿、1650年)である。そののち聖職者Georgius LudoviciがRudimenta grammaticae sorabo-vandalicae idiomatis budissinatis(手稿、1673年以前)を、イエズス会士Jacobus Xaverius TicinusがPrincipia linguae wendicae quam aliqui wandali cam vocant(Pragae、1679年)を著した。このうちTicinus文法は、印刷された初めてのソルブ語文法である。

その後も文法書や辞書は出版された。19世紀における民族覚醒運動の高まりとともに、出版も充実するようになる。Jurij Libšはリファレンス文法Syntax der sorbischen Sprache in der Oberlausitz(Bautzen、1884年)を著した。19世紀末にJurij Kralが文法書Kurzgefaßte obersorbische Grammatik(Budyšin、1895、1919、1925年)を著し、その後ソルブ語-ドイツ語辞書Serbsko-němski słownik hornjołužiskeje rěče(Budyšin、1927-1931年)を編纂した。

文献学者でありギムナジウムの教師であったKřesćan Bohuwěr Pfulは、文法書Hornjoserbska rěčnica(1861年)、ソルブ語-ドイツ語辞書Łužiski serbski słownik(1866年)を編纂している。

このようにさまざまな文法書や辞書が編纂された。一方、本格的な社会言語学的研究は、1880年代にソルブ居住地域をくまなくまわってソルブ語人口の包括的な統計およびソルブ語使用の観察記録を残したArnošt Mukaの調査が嚆矢である。Mukaは自らの調査をマチツァ・セルプスカ(A節参照)の雑誌に発表している:

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2. 研究状況

では、より新しい時代における研究状況をみていこう。なお、本節では便宜上ドイツ国内とドイツ国外の言語圏別に分けて紹介する。

ドイツ国内

ドイツ国内では、いくつかの機関でソルブ研究がなされている。第一に挙げられるのは、ソルブ研究所外部サイトへ移動します(Serbski institut http://www.serbski-institut.de/外部サイトへ移動します)である。ここでは、現在と過去のソルブ人の言語、歴史、文化におけるさまざまな研究がなされている。所内の図書室および文書室にはソルブに関する資料が網羅的に蒐集されており、一般にも公開されている。ソルブ研究所は学術雑誌Lětopisを年2回刊行している。現在は上ソルブ地域のブディシンと下ソルブ地域のホシェブス(ドイツ語名=コトブス)の2か所に所在し、ソルブ研究の拠点となっている。また、同研究所は2年に一度、国際夏期講座(Mjezynarodny lěćny ferialny kurs za serbsku rěč a kulturu)を開催し、近年は定員を超過するほどの盛況を呈している。

ソルブ研究所
ソルブ研究所Serbski institut(独Sorbisches Institut)
(クリックするとオリジナル画像を表示します)

大学などの高等教育機関においてもソルブ研究がなされている。ライプツィヒ大学文献学部には唯一のソルブ学研究室外部サイトへ移動しますが設置されている。この研究室にはソルブ人教員養成という使命もある。また、同研究室を中心にして、ソルブ語による学術雑誌Sorapisを刊行している。

近年では、ドレスデン工科大学(Technische Universität Dresden)やコンスタンツ大学(Universität Konstanz)などのスラヴ学研究室でもソルブ研究が活発に行われている。

20世紀後半以降のソルブ語研究については、以下の二大文法が集大成的な存在になっている。1970年代にHync Šewc-Schusterによって上ソルブ語で著されたGramatika hornjoserbskeje rěče[:] folnologija, fonetika, morfologija[上ソルブ語文法:音声学、音韻論、形態論]とGramatika hornjoserbskeje rěče[:] syntaksa[上ソルブ語文法:統語論]、そして1980年代にはHelmut Faßkeによるドイツ語での文法書Grammatik der obersorbischen Schriftsprache der Gegenwartがある(詳細はD節の文献案内を参照されたい)。1997年には、Helmut Faßke(Helmut Faska)65歳記念論文集となるLětopis特集号(Lětopis 44/1, Helmut Faßke zum 65. Geburtstag/ Helmut Faska k 65. narodninam)が刊行されている。1990年代半ばまでのソルブ語研究動向については、こちらを参照するといいだろう。

ソルブ文学研究についても若干触れておく。ドイツではソルブ文学研究もなされており、前ソルブ研究所長のDietrich Scholze-Šołta(演劇)、チェコ科学アカデミーのTomasz Derlatka(児童文学)、ドレスデン工科大学のChristian Prunitsch(現代文学・文化論)といった諸氏が活躍している。したがって、ソルブ文学研究も研究分野としての可能性は大いに開かれているといえる。

ソルブ専門の研究機関や研究室の設置に支えられ、話者の規模にしてはソルブ研究が「異様なほど」充実していると見ることができよう。

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ドイツ国外

ドイツ国外に目を向けると、スラヴ圏における研究成果は言語・文学を含め総じて多いといえる。なかでも比較的多いのはポーランドとチェコである。これらの国では、ソルブ専門の学術雑誌も出版されている。チェコでは、1724年にプラハPrahaでソルブ・ゼミナールSerbski seminar(独Wendisches Seminar)が設立され、ソルブの知識人がプラハで学んでいた(ゼミナールは1922年に閉鎖)。この影響もあり、当時のプラハはソルブ研究の中心地であった。近年はポーランドがソルブ研究の中心になりつつあり、ワルシャワWarszawa、ヴロツワフWroclaw、オポレOpoleなどが拠点となっている。これらの地では、Zeszyty Łużyckie(ワルシャワ)、Pro Lusatia(オポレ)といったソルブ専門の学術雑誌も刊行されている。

英語圏、あるいは英語で活躍している研究者はドイツおよびスラヴ圏に比べるとかなり少ない。英国のGerald Stoneはソルブの概説書The Smallest Slavonic Nation-The Sorbs of Lusatia(London: Athlene Press.1972年)を出版している。この本は、長らく英語で知ることのできる唯一のソルブ概説であった。のちにStoneは文法概説“Sorbian (Upper and Lower)”(Comrie, Bernard, and Greville G. Corbett (eds.): The Slavonic languages. London/ New York: Routledge.593-685.1993年)を著し、当時英語で読むことのできるほぼ唯一の資料であった。

カナダのGunther SchaarschmidtはモノグラフThe Historical Phonology of the Upper and Lower Sorbian Languages(Heidelberg: Carl Winter.1997年)や文法スケッチUpper Sorbianを出版している。米国のスラヴ語学者Gary Toopsは上述のŠewc文法(音声学、音韻論、形態論)の英訳を刊行した(書誌情報はD節の文献案内を参照)ほか、Lětopis誌やThe Slavic and East European Journal誌、The Slavonic and East European Review誌などで、ソルブ語学研究における数々の論考を主に英語で発表している。

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日本

日本では、歴史や少数民族政策などさまざまな観点からソルブに注目する論考が散発的にみられる。詳しくは笹原・木村(2010)を参照されたい。ここでは言語、文化に関する研究に焦点をしぼる。はじめに、より本格的な研究がおこなわれてきた言語研究をとりあげたあと、文学研究についてもふれたい。

まず言語研究について、ここでは笹原・木村(2010)にもとづいて、便宜的に黎明期、萌芽期、発展期の3つの段階に分ける。

黎明期は、ソルブ研究そのものがなされているわけではないが、ソルブ語に関する二次資料を用いて自らの専門分野における論が展開されている時期である。黎明期の例としては、おそらく日本で最初に(下)ソルブ語の言語資料をもとに考察した泉井(1968)があげられる。

萌芽期は、特にスラヴ研究者がある程度一次資料に触れたうえで、スラヴ研究の一環としてソルブ研究が散発的になされる。しかしソルブ研究を専門とする研究者はまだ現れていない段階である。萌芽期を代表するのは千野栄一である。千野はプラハに住んでいた頃にソルブ語も学んでおり、自身も編者の一人である『言語学大辞典』においてソルブ語(千野1989)の項も執筆している。千野の記述は、1980年代においてソルブ語についておそらく唯一の日本語で読むことができる言語学的情報であった。

その後、1990年代に入って、ソルブ研究を専門とする研究者が徐々に現れ、日本のソルブ研究は発展期を迎える。ソルブ研究を専門領域の一つとした最初の研究者は三谷惠子である。三谷は1993年、「ソルブ語について」を発表する(三谷1993)。これにより、はじめて本格的なソルブ語学が日本に、日本語で紹介されたといってもいいだろう。三谷はその後もソルブ語に関する研究成果を発表している。そのなかでも、もっとも大きな成果は、上ソルブ語-日本語辞書『ソルブ語辞典』(三谷2003)の出版である。また、こんにちドイツ語への同化が著しく進展している下ソルブ地域における再活性化の動きについても報告している(三谷20012009)。

三谷についで、1990年代半ばには、2人の研究者がソルブ研究に従事するようになる。社会言語学的な側面に注目してソルブ研究を進めてきた木村護郎クリストフと一般言語学の枠組みにおける文法研究を進めてきた笹原健である。いずれも自らのフィールドワークによる一次資料をもとに研究をすすめている。両名のソルブ研究は現地におけるソルブ研究の動向とも接続しており、次節で今後の展望に位置づけて改めてとりあげる。

言語研究の発展に比して文学研究は立ち遅れている。おそらくソルブ文学のうち日本で最も知られているのはクラバート伝説だろう。宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』にもクラバート伝説の影響がみられることが指摘されている(叶 2006: 235)。ただしこれが日本でも知られているのは直接にソルブ文学の影響ではなく、ドイツの児童文学作家オトフリート・プロイスラーの小説『クラバート』が日本語訳されたことによる(プロイスラー1986)。ソルブ文学に関する研究は希少であり、実際にソルブ語作品を分析した研究はみあたらない。ソルブ作家の作品で日本語に訳されているのはほぼBrězan(ブレジャン1993ブリザン1998)に限られる。民話は、ポーランド民話集(吉上ほか1980)にポーランド語から訳されたソルブ民話が収録されている他、ドイツ文学者の大野寿子によって東ドイツ文学の専門誌に民話の翻訳と解説(ネド1998、2004、2010、2011)が連載されている。いずれもドイツ語やポーランド語からの翻訳であり、まだソルブ語から直接日本語訳された作品はない。

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C. 研究の展望

前節ではソルブ研究の過去と現在について見てきた。本節ではそれをふまえ、将来についての展望に焦点を当てて記述をしていく。上ソルブ語も下ソルブ語も、スラヴ圏とゲルマン語圏の間にあり、かつ少数言語として衰退傾向に直面している。この事実に鑑み、ソルブ語の文法・語彙的特徴ならびに社会言語学的特徴を中心に展望していく。なお、文法・語彙的特徴については上ソルブ語の例をとりあげる。最後に、今後の展開が期待される文学研究についても述べる。

1. 一般言語学的研究:文法/語彙的特徴への注目

スラヴ語的な特徴

上ソルブ語は近隣のチェコ語やポーランド語によく似た構造を示している。文法全体を見渡してみると、動詞類や名詞類における豊かな曲用、動調アスペクトの義務的表示、7つを有する格体系(主格、属格、与格、対格、具格、位格、呼格)、数のカテゴリーにおける双数、といった共通スラヴ語の特徴が残っている。したがって、ソルブ語研究そのものも重要であるが、スラヴ語対照研究として発展する余地がある。

ドイツ語的な特徴

いっぽうで、ソルブ語は1000年にもわたるドイツ語との接触を経ており、ドイツ語的な特徴が随所に見られる。たとえば語彙の面では、上ソルブ語korb「かご」はドイツ語Korbから入った借用語であり、コード化されている。そのほかにもソルブ語の文中に、ソルブ語固有の語彙があるにもかかわらずドイツ語の語彙が出現することもある。このように、ソルブ語でコード化されつつあるのか、コードスイッチングが生じているのか判然としないケースも多々ある。

語形成においては、ドイツ語のような複合語(特に複合名詞)を作り出す傾向は見られず、形容詞+名詞や名詞+名詞(属格)の形成法を取ることが多い:たとえばドイツ語Bierkasten「ビールのケース」-上ソルブ語piwowy kaščik、kaščik piwa「ビールのケース」。しかし、21以上の数詞は「一の位+と+十の位」という語形成を取る:jedynadwaceći「21」< jedyn=a=dwaceći(1=と=20);ドイツ語einundzwanzig「21」。

話しことばでは、単語の一部分をドイツ語にする例も見られる。jěć「行く」という動詞であるが、それにドイツ語の動詞前綴り(接頭辞)fort-を付加し、fortjěć「先に向かって行く」としたり、動詞stajić「置く」にドイツ語のhin-をつけてhinstajić「そちらへ置く」としたりする例が見られる。さらに、ドイツ語の動詞に外来語起源の動詞に多く用いられる動詞派生接辞-owaćを付加し、wechselować「取り替える」(ドイツ語wechselnから)といった語が現れることもある。

統語では、ドイツ語の枠構造を想起させる語順が多く用いられる。上ソルブ語では文法的に定められた語順はない。しかし、単文において動詞句が複数の語からなる場合は、定形動詞が文の第2要素を占め、その定形動詞と結びつく動詞の非定形が文末に現れることが多い:Wčera sym knihu čitał.「昨日わたしは本を読んだ」。

ソルブ語研究では、文法記述や語彙的特徴に重きを置いた研究が多い。語用論や、第二言語習得などの応用言語学を扱っているものはほとんど見られない。このことは、ソルブ語はまだまだ言語体系の記述が必要であるということの裏返しであろう(しかし、だからといってソルブ語研究が遅れているというわけではない)。

ソルブ語研究において近年注目されている研究テーマの1つは、「ドイツ-ソルブ関係」というコンテクストからのアプローチである。2011年10月にソルブ研究所はコトブスCottbusにおいて「スラヴ諸語の文法に対するドイツ語の影響」というシンポジウムを開催している。また、日本でもドイツ-ソルブ関係の枠組みにおけるソルブ語研究の成果が見られる(Sasahara 2009笹原2011a2011b山口20122013など)。このように、ドイツ-ソルブ関係への注目は最近のトレンドになっているようである。このテーマはドイツ語研究とスラヴ語研究の接点であることから、今後は双方からのアプローチが期待される。

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2. 社会言語学的研究:少数言語としてのソルブ語

では、社会言語学的研究における今後の研究課題を考えてみよう。社会言語学的には、極小言語としてのソルブ語の保持や衰退が研究の一つの焦点となってきた。その際には、地域による言語維持の違いが見逃せない。上ソルブ語は若い世代にも話者が相当数いるのに対して下ソルブ語の母語話者はほぼ高齢者に限られる。Jodlbauer/ Spiess/ Steenwijk (2001)は下ソルブ各地の村におけるソルブ語の状況を調査した。また下ソルブのある村の言語取り換え過程を調査したNorberg (1996)は言語取り替えの過程を明らかにしている。上ソルブ語のなかでもカトリックとプロテスタント地域の差は顕著である。1945年以降、若い世代までがソルブ語を日常言語とする言語共同体が存続しているのはソルブ語地域の南西部のカトリック地域のみである。カトリック地域では、地域の中心的な組織である教会の強力な支援に支えられて、ソルブの言語とアイデンティティが保持されてきた。Jaenecke (2003)はカトリック地域における言語維持の要因を宗教性という観点から分析し、木村(2005)は一つの小教区の言語状況をもとに言語維持を動的にとらえようとした。今後の存続のカギとなる若い世代について、Šatava (2005)はカトリック地域を中心に分布するソルブ学校の生徒へのアンケートによって言語意識を調査した。

これらの研究によって、下ソルブ地域のソルブ語衰退の要因や過程、また上ソルブのカトリック地域におけるソルブ語維持の要因や過程についてはかなり明らかになっている。まだまとまった研究がないのは、上ソルブのプロテスタント地域でソルブ語がなぜ、どのように衰退したのかということについてである。この主題については、同じ上ソルブのカトリック地域、また同じプロテスタントの下ソルブ地域との対比が興味深いだろう。

さらには、他の少数言語との対比から新たな知見が期待される。言語復興の動きが進展しているケルト諸語とソルブ語をあわせて扱った研究も存在するが(木村2005Glaser 2007)、このような異なるタイプの少数言語を比較することは、言語維持がどのように可能かを明らかにするために有意義だろう。

もうひとつ今後ますます重要になると考えられるのはドイツ人とソルブ人の関係に関する研究である。ここまでとりあげてきた研究はいずれもソルブ語の使用自体に焦点をあてていたが、ソルブ語話者がすべてドイツ語との二言語併用者となっており、またソルブ語話者のみの空間は成立しにくい現状では、ソルブ語がどこでどのように使われるかは多数派のドイツ人との関係に大きく影響される。またウィタイや二言語学級に現れているように、ソルブ語の継承もドイツ人とのかかわりなしには考えらなくなっている。そのようななかで多数派のドイツ人が、ソルブ語とどのように向き合うかという問題系が注目されるようになっている(木村20072011aRatajczak 2009)。ソルブ研究でもっとも社会的に注目された成果は、ドイツ人とソルブ人の表面的な平和的共存の裏にあるソルブ人への偏見や蔑視、またソルブ人自身による劣等感の内面化を正面から描いたWalde (2010)だろう(木村2011b参照)。

このように、ソルブ地域内外の比較の視点また多数派住民との関係性への注目が今後の研究においてますます重要になると考えられる。ソルブ研究所では、多数派と少数派の関係性を異なる地域や集団で比較する取り組みも行われており(Tschernokoshewa/ Gansow 2007など)、このような方向性は今後も追究されると思われる。

二言語標識
二言語表記の標識(ブディシン市街)
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3. 文学研究

上述のように、とりわけ日本においてソルブ文学研究はほぼ未踏の領域である。ソルブにおいては文学的な創作活動がきわめて盛んであることを思えばこれはもったいないことである。Jurij Brězan (1916-2006)のように既に作品が20以上の言語に翻訳され、ソルブの枠をこえて活躍する作家が何人もいる。ドイツ在住の作家多和田葉子は、「私はこれまで3人もソルブ語で詩を書いているという詩人に会っている」と驚きをもって報告している(多和田2003:88)が、これはほんの一部である。ソルブの小さな世界に根ざすことで大きな世界にひらかれたソルブ作家の創作姿勢は、Brězanの代表作『クラバート』の次の文章に現れているといえよう。サトクラ川というのはソルブ地域の村々をぬうように流れる、助走をつければ軽く飛び越えられるほどの小川である。

„Dokładnje wosrjedź našeho kontinenta - potajkim tež swěta, kaž mnozy tule mylnje wěrja – žórli so Satkula, rěčka, kotraž sydom wjeskow poji a potom na rěku trjechi, kiž ju srěbnje. Kaž atlasy tak tež morjo rěčku njeznaje, ale wono by było hinaše morjo, hdy by njepřiwzało tež wodu rěčki Satkule.“
「わたしたちの大陸のちょうどまんなかに ― ここの人たちの多くは世界のまんなかでもあるとまちがって信じているのだが ― サトクラ川の水源がある。この小川は七つの村を流れた後、自らを飲み込む川に出会う。世界地図も海もこの小川を知らない。しかし、小さなサトクラ川の水を含まなかったとしたら、海はちがう海になっていたであろう。」(Brězan 1976:5;木村試訳)

ソルブ語と直接向き合う文学研究は、言語面でのハードルがあるため容易ではないだろうが、挑戦に値するのではないだろうか。

ヤクブ・バルト=チシンスキJakub Bart-Ćišinski (1856-1909)
詩人ヤクブ・バルト=チシンスキJakub Bart-Ćišinski像(パンチツィ・クコウPanćicy-Kukow (独Panschwitz-Kuckau)にて)
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D. 文献案内

今のところ、ソルブについて書かれたものは、日本語や英語で読めるものは少ないのが実情である。現在出版されているものは、そのほとんどがドイツ語あるいはソルブ語で書かれている。以下では、英語や日本語で書かれたものを中心に紹介する。なお、日本語で書かれたソルブに関する網羅的な文献リストは「新ソルブ通信http://serbja.web.fc2.com/bibliografija.htmlに掲載されている。

ソルブ専門書店
ソルブ関係専門の書店(ブディシン)
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1. 教科書

上ソルブ語

上ソルブ語で書かれた教本は少なくないが、ここでは割愛し、ソルブ語以外の言語によるものを挙げる。

ドイツ語による教本には、Jana Šołćina and Eduard Wornar、Obersorbisch im Selbststudium(Bautzen: Domowina-Verlag.2002年)が挙げられる。

日本語による簡易な入門書としては、町田健監修『ニューエクスプレススペシャル ヨーロッパのおもしろ言語』(東京:白水社.2010年)所収の笹原健「ソルブ語の世界」がある。

下ソルブ語

ドイツ語による下ソルブ語教本にはErwin Hanuš、Niedersorbisch praktisch und verständlich(Bautzen: Domowina-Verlag.2009年)がある。ポーランド語による入門書としては、Alfred Měškank、Zakłady dolnoserbskeje rěcy/ Podstawy języka dolnołużyckiego(Bautzen: Domowina-Verlag.2006年)がある。

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2. 辞書

現在出版されているソルブ語の辞書の多くは、ソルブ語-ドイツ語、ドイツ語-ソルブ語辞典である。

上ソルブ語

現在比較的手に入りやすい上ソルブ語-ドイツ語辞典としては、Pawoł Völkel編、Prawopisny słownik hornjoserbskeje rěče. Hornjoserbsko-němski słownik/ Obersorbisch-deutsches Wörterbuch(第5版、Bautzen: Domowina-Verlag.2005年)が挙げられる。この辞書はCD-ROM版も出版されており、Windows,Mac OS,Linuxで利用できる。

ドイツ語-上ソルブ語辞典にはRudolf Jenč編、Deutsch-obersorbisches Wörterbuch 1 A–K / Němsko-hornjoserbski słownik 1 A–K(新版、Bautzen: Domowina-Verlag.2007年)、Helmut Jenč, Frido Michałk, Irena Šěrakowa編Deutsch-obersorbisches Wörterbuch 2 L-Z / Němsko-hornjoserbski słownik 2 L-Z(新版、Bautzen: Domowina-Verlag.2011年)がある。

上ソルブ語-ロシア語辞典にはK. K. Trofimowič編、Hornjoserbsko-ruski słownik/ Verchnelužicko-russkij slovar(Bautzen: Ludowe nakładnistwo Domowina.1972年)がある。

三谷恵子『ソルブ語辞典』(東京:大学書林.2003年)は唯一の上ソルブ語-日本語辞典であり、巻末付録として詳しい文法解説がある。

上ソルブ語-英語辞典としては、Gerald Stone、Hornjoserbsko-jendźelski słownik(Budyšin: Ludowe nakładnistwo Domowina.2003年)がある。これは、上ソルブ語-ドイツ語の学習辞書の英訳である。

下ソルブ語

下ソルブ語の辞書はきわめて少ない。新しい下ソルブ語-ドイツ語はManfred Starosta、Dolnoserbsko-nimski słownik/ Niedersorbisch-deutsches Wörterbuch(Bautzen: Domowina-Verlag.1999年)のみである。

Rafał Leszczyński、Praktyczny słownik dolnołużycko-polski/ Praktiski dolnoserbsko-pólski słownik(Bautzen: Domowina-Verlag.2005年)は下ソルブ語-ポーランド語辞典である。

携帯端末用アプリ

Wito Bejmak氏が開発したアプリ「Boehmak」が公開されている(Android用外部サイトへ移動しますiOS用外部サイトへ移動します)。これは、ドイツ語-上ソルブ語ならびに上ソルブ語-ドイツ語の双方に対応した辞書アプリで、Deutsch-obersorbisches Wörterbuch 1 A–K / Němsko-hornjoserbski słownik 1 A–K(第1版、Bautzen: Domowina-Verlag.1989年)、Helmut Jenč, Frido Michałk, Irena Šěrakowa編Deutsch-obersorbisches Wörterbuch 2 L-Z / Němsko-hornjoserbski słownik 2 L-Z(第1版、Bautzen: Domowina-Verlag.1991年)が底本となっている。

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3. 文法書

上ソルブ語

代表的かつ網羅的な文法書としては、ドイツ語で書かれたFaßke, Helmut: Grammatik der obersorbischen Schriftsprache der Gegenwart(Bautzen: Ludowe nakładnistwo Domowina.1981年)とŠewc-Schuster, Hync、Gramatika hornjoserbskeje rěče[:] folnologija, fonetika, morfologija[上ソルブ語文法:音声学、音韻論、形態論](第2版、Bautzen: Ludowe nakładnistwo Domowina.1984年)と同著者によるGramatika hornjoserbskeje rěče[:] syntaksa[上ソルブ語文法:統語論](Bautzen: Ludowe nakładnistwo Domowina.1976年)がある。Šewc文法(音声学、音韻論、形態論)については、Gary Toopsによる英訳版が刊行されている(H. Schuster-Šewc.Grammar of the Upper Sorbian Language: Phonology and Morphology, translated by Gary Toops (Lincom studies in Slavic linguistics 3).München: Lincom Europa.1996年)。

日本語で書かれた文法の概略としては、上掲の三谷恵子『ソルブ語辞典』巻末付録の文法解説、笹原健「上ソルブ語」(中山俊秀・江畑冬生編『文法を描く:フィールドワークに基づく諸言語の文法スケッチ』、51-83ページ.府中:東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所.2006年)がある。後者は音韻表記による文法の概略である。

英語で書かれた文法概略としては、Gunther Schaarschmidt、Upper Sorbian(München: Lincom Europa.2002年)がある。

下ソルブ語

現行の網羅的な下ソルブ語文法書は存在しないようである。上掲のErwin Hanuš、Niedersorbisch praktisch und verständlichが文法書を兼ねているといえる。

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4. 歴史

もっとも包括的な歴史書は、いまなお、東ドイツ時代に執筆されたBrankack, Jan, Frido Metsk, Jan Solta, Hartmut Zwahr, Martin Kasper, Klaus J. Schiller, and Manfred Thiemann: Geschichte der Sorben(Bautzen: Domowina-Verlag. 1974-1979年)である。簡潔な概観としてはPeter KunzeによるKurze Geschichte der Sorben(Bautzen: Domowina-Verlag. 1995年)が要領よくまとまっている。

英語でも歴史書がいくつか著されている。2000年にPeter BarkerがSlavs in Germany: The Sorbian minority and the German state since 1945(Lewiston/ Queenston/ Lampeter: The EdwinMellen Press.2000年)を刊行し、第2次世界大戦後のソルブを取り巻く歴史を概説している。

また21世紀に入り、米国に移住したソルブ人の子孫Charles Wukaschは、英語で書かれたソルブ人に関する歴史書A Rock Against Alien Waves - A history of the Wends (or Sorbs) in Europe and America(Concordia University Press.2004年)を出版している。

日本語でのソルブ史および現状の概説は、木村護郎クリストフ「ソルブ - ドイツ語圏とスラヴ語圏のはざまで」(原聖,庄司博史編,綾部恒雄監修『講座 世界の先住民族 - ファースト・ピープルズの現在 - 06ヨーロッパ』.東京:明石書店.2005年.138-153)や笹原健による連載「ドイツに生きるもうひとつの世界 ソルブの世界を訪ねて」(1. ドイツの少数民族、ソルブ人、2. ソルブ人がたどってきた道、3. 目にも鮮やかな民族衣装、4. ソルブ料理はいかが?、5. ソルブの伝統を受け継ぐ年中行事、最終回 ソルブ語の現在;NHK出版『テレビでドイツ語』2016年4-9月号)がある。

路傍の十字架
路傍の十字架(クルスチツィ村)
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E. 参考文献

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