管理人の紹介

安藤 邦光・・・「私のソルブとの出会い」
初めてソルブを知ったのは、高校生の頃だった。当時の東ドイツの旅行社でもらったパンフレットにゾルベン人(ドイツ語ではDie Sorbenという)という少数民族が住んでいるということが紹介されていた。そのころ、世界史の授業でも、ヴェンド人(今のソルブ人のこと)について一行ではあるが、ふれられていた。情報が少なかったがゆえに私のソルブに対する好奇心はふくらんでいった。
大学時代にラウジッツ地方を2度訪問し、ソルブ人がドイツ人と暮らしながら今でも自分達の独自の文化を大切にしていたことにつよくひかれた。彼らは、その上遠くから来た人に対してホスピタリティの精神を持っている。
彼らのことを日本の人にもっと知ってもらいたいと思い、このページを共同管理人の木村護郎クリストフと作成しました。

木村護郎クリストフ・・・「私のソルブとの出会い」
 1993年のドイツの写真付きカレンダーの表紙に民俗衣装を着た女の子たちの写真が載っていた。どこの民俗衣装かと思って表紙裏をみると、「ドイツのスラブ系少数民族ソルブ人」とあった。これが私のソルブとの最初の遭遇であった。と、私は最近まで思っていた。ところが、先日、部屋の整理をしていたら、1992年の4月頃に提出した、当時やっていたドイツ語翻訳の通信添削の問題にソルブについての短文があるではないか。自分が訳しているのに、なぜか全然覚えていない。(・・・)あるいは、ドイツ語学科1年生の自分は当時月並みに(というのはよろしくないが)ナチスの研究をしようと思っていたので特に注目しなかったのかもしれない。
 しかし、実はこれがソルブとの最初の出会いでもないのだ。これよりはるか前に、私は知らないうちにソルブと出会っているのだ。「クラバート」という児童文学をご存知だろうか。私が中学生くらいの頃愛読していたこの小説は、「おおどろぼうホッツェンプロッツ」などで有名な作家のオトフリート・プロイスラーの代表作の一つであるが、クラバートというのはソルブの伝説に登場する人物なのである。そのことを知ったのはソルブについて調べはじめてからのことだが、今になって読み返してみると、「ヴェンド語」(ソルブ語のこと)を話しただの、「宮廷ではドイツ語」だの、何箇所か、舞台となっている17世紀のラウジッツ地方(ソルブの居住する地域)の言語状況がうかがえる記述がある。
  というわけで、ソルブとのご縁は案外古いのだが、ソルブに興味を持ちはじめたのは先に述べたカレンダーを目にしたときだった。2度すれちがって3度めにはじめてふりむいた、ということになろうか。カレンダーでみた時に「ドイツのスラブ人」という文句に強く興味をそそられたのは、おそらく、当時、ドイツとスラブ圏(特にポーランド)の関係に関心を持ちはじめていたからであろう。こうして私はいわばドイツからポーランドに赴く途上でソルブに「つまづいた」のである。では、どうしてドイツとポーランドの関係に関心を持つようになったのか。それはまた別の話になるので、またの機会に譲りたい。
(「不老町だより」2号(1997)、41‐42頁より)

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